令和6年(2024年)もよろしくお願い致します。
旧年中はお世話になりました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
昨年は多くのご利用希望を頂いておりましたが、まだコロナ渦が完全にあけておらず、さらにウクライナ情勢や円安と人件費の上昇などで様々な価格が上昇し、われわれも難しいかじ取りを行いました。
現在、たかき清流館は、20年ぶりの補修工事を施工しており、本年4月以降は、少しリフレッシュした姿をお見せできるかと思います。
しかし、世界の中には、今も戦争の恐怖におびえる子どもたちや、水や食料や医療さえ満足に受けられない環境にいる人々がいることから目を背けることは出来ません。
そこで、近くにある「佐田神社(高木神社)」に詣で、世界の平和と地域の安寧を祈ってまいりました。
今日はこの神社深掘りしてみます。
この神社のご祭神は、タカムスビノカミ(高木神 アメノミナカヌシの子 イザナギ・イザナミの十一代前) イザナギノミコト イザナミノミコトとなっており、日本の神々で一番古い系統の天津神系を祀っています。
画像は、本殿の向かって左隣の祠「須賀神社」。
イザナギ・イザナミの子;スサナオノミコトが祭られています。(ココからは天祖降臨後の国津神系)
しかし、祭られている像は豊前坊(英彦山)の天狗の形。
英彦山の大行事者に取り入れられた影響があるのかも知りませんが、なぜスサノオになったのか知る由はありません。
さらに、その祠の左手には、佐田の各部落の人たちがそれぞれにに祀ったと言う石祠が三つ。
「五十猛命」イタケルノミコト(スナナオの子)、市杵嶋姫(イチキシマヒメ:アマテラスオオミカミの子で宗像三女神のひとり(辺津宮))、大山津見神(オオヤマツミノミコト:イザナギ・イザナミの子 山の神)
現在はこのような神々が祀られています。
古い歴史があるお宮ですから、時代時代でどのように変遷していったのか興味あるところではあります。
江戸時代はどうだったのかと言うと…
元禄7年(1694)『朝倉紀聞/古賀高重編』によると「彦山の末社と伝ふ。当社の左右に木像十三体あり現人神と言ふ。当村庄屋祖先代々の像也。松島大明神当村庄屋手島氏安倍の貞任の後胤也。彼氏族の産神なりと言ふ。」
さらに…
元禄16年(1703)に書かれた『筑前国続風土記/貝原益軒』には
「佐田村に安倍貞任の子孫と称するものあり「或書」に佐田村に安倍の貞任の子孫ありて貞任より後十三代を現人神に祝いて木像十三あり第十三を孫太郎専当といふ。今の庄屋は其の子孫なり。凡そ村中に安倍氏のもの十四家あり。また安倍氏の彦沙神(産土神か)ありて松島大明神を祭る。貞任が子りゅうせんと言ひし人の墓と言ふもあり。」
とあり、元禄年間には松島大明神(奥州松島で安倍貞任の弟宗任(1067年大島又は太宰府に流される)が信仰していた)が祀られていた時もあった模様。
当地には安倍貞任伝説があり、安倍家も現存しておりますので、何か資料になりそうなものはないか、安倍家に確認してみましたが、家系図も昔の火事で焼けており、確認のしようがないそうです。
同じ高木地区内の黒川にあった英彦山座主の住まい「黒川院」が後伏見天皇第六皇子長助(助有)法親王が1333年に設けられて以降、1587年までこの地は英彦山の強い影響力があったため、それ以前は安倍家を中心に松島大明神を祀っていたのかも知れません。
少なくとも330年前(アメリカ合衆国の建国1776年(248年)より古い)1694年には現存し、以来、当地の人々が大切に守ってきたお宮。
このような神社が沢山あって、多様な神々が居る日本と言う国の由緒ある文化を大切にしたいと思ったお正月でした。
皆さまが健やかな一年でありますように。
管理人
神々の名前など興味があれば、ご自身で検索されるなどで知識を深められるとよいでしょう。
【参考】
・『朝倉紀聞/古賀高重編』元禄16年(1694)
・『高木の史蹟と傳説』
・貝原益軒 筑前国続風土記